「子どもと性の話をするのが苦手な日本人」
先日、数年ぶりにJOICFP(ジョイセフ)のIさんと再会し、美味しいネパール料理に舌鼓をうちながらお話していたら、アッという間に約束の20時を少しオーバーしてしまった。10才になる息子の帰宅時間と重なったため、予定外だった彼も急遽合流することに。
息子が到着した時、私はちょうど、Iさんからアメリカの性教育の話を伺っていた。そこに思春期直前の小5男子が登場!初対面の人と母がそんな話をしている所に遭遇したら普通はどんな顔になる? 少しバツの悪そうな表情? しかし彼は、全く通常モードを崩すことなく、横にチョコンと座りズズズ、、、とジュースを飲み干していた。
そう、彼は10代のうちに知っておいた方が良さそうな性の話は、母や大人の複数の男性陣から既に伝授され済みの小学生なのである。彼の知る性の話を五十音に例えて言うなら、付きっきりで一字ずつ書き方まで丁寧に教えたわけではないが、基本の文字の読み方、「あ」の後は「い」が来るくらいのこと。でも「あかさたな」って読むこともあるよ、程度の「カラダと感情の変化」そして「その他の外せない知識」くらいは頭に入れてもらっている。
学校でも、修学旅行のようなものの前に性教育の授業はあったそうだ。彼は小4〜5くらいになったら男女が別室に分けられ、そういう時間が来ることも了承済みで、これが例の時間ね、くらいの感覚で通常の授業と同じように?ぽけら〜っと聞いていたようだ。だが、クラスメイトの反応は大いに違い、どうもそれが大変不思議に映ったらしい。
まず男子達は冒頭、カラダの名称などの言葉尻をとって大笑いしたり、はやし立てたり。照れる前に笑い飛ばすという風で。そのうちもう少しつっこんだ話に移行すると、今度は妙に恥ずかしがりだし。ラストの近い将来自分のカラダに起こる現象の話を聞いた時には皆シーン。中には「うえ〜、気持ち悪い」と言ったり、真っ青になりショックを受けていた子までいたという。唯一クラスの中で、「それ知ってるー」と天真爛漫に言い放ち続けていたのは、我息子だけ(笑)
「先生が言ったこと全部知ってた。でも、案外みんな知らないもんなんだねぇ」と余裕な御様子?どうも息子よりもかなりオマセな男子達も知らなかったことが多かったらしく、それには素直に驚いていた。ススんでいると思ったアイツが知らないんだ、、、みたいなことか? そのエピソードを聞いて、母は一般家庭では、子供とその手の話というものはやっぱりしないものなのだなぁ、とシミジミ感じた。男子19名の家庭の中で教育済みなのはたった1人の現実。
とはいえ私達世代も、大人になる知識を吸収したのは友達や本からが多く、家庭でそんな情報を聞いて育ったなんて人はほとんどいないような気がする。誰もが乗り切る通過点なんだから、そんな話しづらい内容を家庭で何も女親がしなくても、、、そんな風に思っている親が実は随分と多いのが現実だと思う。しかし、同性ならともかく異性の子供に、思春期になってから突然親が大上段からそんな話をふりかざしてももう彼らは聞く耳もたずだからね。
ある時期、友達ネットワークが大活躍するゆとりも残しつつ、私の場合は、まだ頭の柔らかいうちに箸の持ち方や挨拶の仕方と同じように伝えてみた。その効果の善し悪しは未来にならないとわからない。人の家庭感や考え方はそれぞれ。子供と親のキャラクターも千差万別。なにも早いうちに教えた方が絶対にオススメというわけではない。でも、あまりにも家庭内で「性」の話を避けたがるのも妙な、不自然なことだとも思う。「性」は笑うものでも、虐げられるものでも、快楽のものだけでもない。生きる上でとっても大事なことなんだ。それはある意味、算術や語学を話すより前にあるべきこと。そんな話を学校任せだなんて、親としての経験ひとつ損している気がする。
by 田島 三斗美 (文筆家:フリーライター)