【4月1日 岩手県】ジョイセフスタッフの現地レポート
2011.4.1
- 東北の女性支援
- 実施レポート
4月1日(金)岩手県にいるスタッフより一報が届きました。
4月1日、朝、宮城県仙台市を出発し、岩手県盛岡市に向かいました。
「災害派遣等従事車両証明書」があることで、スムーズに移動ができました。
東北自動車道は、災害の痕跡は全くといってよいほど分からないように復旧していました。
宮城県仙台市で見た長い給油渋滞は岩手では完全に解消されていました。これは、岩手県の被災地でも同様で、甚大な被害を受けた宮古市、山田町でも残ったスタンドは機能していました。
報道されているように、日本中から被災地の復興に総力を上げて取り組んでいる様子があちこちで見られ、特に、インフラの復旧のスピードは驚異的で、被災地でも3月30日までには水道、電気が続々と復旧しています。この点は途上国での被災後と大きく異なる点だと思います。従って、現場のニーズに沿った支援も刻一刻と変わってきています。
予想に反して、宮城県でも岩手県でも避難所での物資供給は潤沢で、何かが不足しているという要望を出すと瞬く間に物資が届けられ、即時に供給過剰になるようです。ですが、行政も人員不足で、全国から届く物資の管理や分配を見届けられる人材が不足しており、行政の倉庫には物資が溢れるほどあっても、支援物資を待つ人々のもとにすぐには届きにくい状況を目の当たりにしました。
今回ジョイセフが寄贈した女性たちへのニーズに応える物資は、行政に届く物資の中でも特に不足していて、下着や暖かい衣類、スキンケア用品はどこでもとても喜ばれました。生理用ナプキンは大量に行政の倉庫に届いているそうですが、分配がうまくいっていないために倉庫に大量に積まれたままだと聞きました。県や市の災害担当者がほとんど男性で、我慢強い東北の女性たちが自分たちの要望を伝えられないことも一因のようです。
なお、避難所外の被災住民には物資が届かず、日用品から食糧に至るまで格差が広がっているようです。避難所外の被災住民(家だけが残った、または親戚の家に避難している人)は、避難所での「登録書」が無いと物資を配給してもらえないという現状でした。
避難所に留まっている人たちは、ピーク時に比べるとかなり減っていて、3週間が経過した現在は、遠い親戚を頼って引っ越しする人たち、公的支援により一時疎開している人たちも増えています。避難所に残っている人たちは、津波で家を失ってしまっても生まれ育った町を離れたくない人たち、地域に親戚縁者がいる人たち、職場が被災していない人たちなどでした。
飲料水は現在も給水車に頼っており、また長引く避難生活で衛生状態も悪化してきており、疲労による体力低下から感染症の発生や拡大が懸念されます。訪問した山田町の保育園でもノロウイルスによる感染が発生し、現地の要請に応えて、いま助産師が塩素系消毒剤を急遽搬送しています。
公的支援は、間もなくライフラインのインフラ整備・復旧、そして被災者に対しては、仮設住宅の建設と入居というステージに移ります。今後は、仮設住宅に移った被災者たちの支援という中長期的な視点に立った支援が必要になると思われます。
本間真理子
4月1日14:00 ジョイセフの支援物資の保管センターとなっている「もりおか女性センター別館」に到着
「もりおか女性センター」センター長の田端八重子さん(写真)や、日本助産師会岩手県支部の一員として緊急母子支援に取り組む岩手県立大学看護学部の福島裕子準教授、(野口恭子準教授、蛎崎奈津子講師)らに岩手県の状況についてお話を伺いました。
震災直後から新生児を持つお母さんたちへの母乳育児応援、ミルク、紙おむつの提供などの物資支援を行っていること、避難所の女性たちは下着が不足していること、おふろに入れなくて困っていること、避難所のトイレが男女の区別がなく、ナプキンがあってもトイレに行けず、我慢している女性が多く、そのために30代から40代の女性の膀胱炎やストレスによる尿失禁など女性特有のケアが必要とのお話を伺いました。
通常では、支援物資はすべて市の防災センターに集積され、そこから被災者に届けられます。ところが、防災センターは既に食糧や日用品など大量の支援物資でスペースがなく、ジョイセフから届く物資の受入れが難しい状態でした。しかし、ジョイセフの物資リストを見た田端センター長は、これらの物品こそ被災した女性たちが本当に欲しかったものばかりだと判断して市と交渉し、特別に、防災センターではなく女性センターを開放して支援物資を受け入れられるように手配されました。
女性センター内には紙おむつ、ベビーフード、ミルク、女性用下着、衣類、靴下、シャンプー、スキンケア用品などジョイセフが送った物資が整然と積まれていました。物資の到着が徐々に周知され、当日は多数の来訪者があり、必要な物品が渡されていました。
4月1日に訪問することになった山田町に持参する物品を選別している様子(写真上)。
山田町の避難所には30数組の母子がいることを聞き、携帯電話で乳幼児のいる避難所の名前や月齢などを聞きながら車に積めるだけ積み込みました。
大船渡市の要望に応じ、物品を届ける市職員の方々。「こういうものはこれまでの支援物資には入っていなかったので大変ありがたい」と言われました。