フィリピンの女性の歴史的な勝利―リプロダクティブ・ヘルス法成立

2013.8.1

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  • ジョイセフコラム

私は、1981年から1984年の3年間、国際協力機構(JICA、当時は事業団)の派遣専門家として、フィリピン共和国の家族計画・母子保健インテグレーションプロジェクト推進のために駐在し、フィリピンの人々と働く機会を得ました。
この時期の私は、3年間という初めての長期派遣で、すべてが学びの日々であったことを覚えています。
まずは、日本との違いを理解することから始めなければなりませんでした。
違いはいろいろありましたが、その中でも心に残る二つを挙げてみます。
それらは、
1.日本では昭和23年(1948年)の法律(当時、優生保護法、現在の母体保護法)により、安全な人工妊娠中絶が確保されていましたが、フィリピンでは、中絶は「憲法」で禁止されていたこと。
2.フィリピンでは、避妊を含めた家族計画活動はカソリックの影響で制限されていたこと。当時、避妊方法としては、自然家族計画法(Natural Family Planning Method: 子宮頸管粘液を観察することにより、月経周期において受胎能力の高い時期を予測する方法)のみがカソリック教会の認める方法でした。
そのため現実としては、望まない妊娠が予防できず、中絶が違法であるため、安全でない「闇の中絶」を受ける女性が跡を絶たず、多くの女性が命を落としたり、後遺症に苦しんだりしていました。実際の統計数値は、公式には把握されておらず、女性の悲しみや苦しさは「社会の陰」に隠されていました。
そんな中で家族計画プロジェクトの進め方には腐心しました。予防教育・広報教育活動から入る余地しかありませんでした。近代的避妊法を正式に提供・推進することができないままに実施する家族計画事業は難しいものでした。私が当時所属したフィリピン人口委員会(POPCOM)では、それでも、アメリカの支援を得て、プロジェクトとして避妊器具薬品の配付がアウトリーチワーカーによって行われていました。
2012年12月にフィリピンから朗報が届きました。
それは、「カトリック教会からの強い反対にあい、14年もの間、議会で立ち往生していたフィリピンの『リプロダクティブ・ヘルス(RH)法』、すなわち、『親としての責任とリプロダクティブ・ヘルスに関する法律2012年(Responsible Parenthood and Reproductive Health Act of 2012)』が、ようやく議会を通り、2012年12月21日、ベニグノ・アキノ3世(Benigno Aquino Ⅲ)大統領の署名によってようやく成立した。法案の成立を受けて、フィリピン政府は、公費負担による無料または低価格での避妊方法を全国の保健センターで提供することとなる。また同時に、政府は、公立学校で性教育を実施したり、コミュニティの保健オフィサー向けに家族計画についての研修・訓練を提供することも求められる」というものです(IPPF NEWS 2013年1月)。
今までは、カソリックの教えのもとでは難しかった避妊方法の選択肢が、政府によって法制化され公式に保障されたのです。フィリピン国内で、1960年代から家族計画・RH運動を行ってきた多くの関係者にとっては、まさに革命的な出来事となりました。
中絶は依然として、憲法での禁止事項ではありますが、望まない妊娠の予防のための避妊方法の選択肢の拡大、入手可能性の拡大、そして若者に対する性教育の推進、政府の保健担当者の実務研修などは、画期的なものと言えます。
フィリピンは、アジアで、女性や若者の社会進出が最も進んだ国の一つであり、これによって、彼らの更なるエンパワーメントが期待できるのではないでしょうか。私も、かつて、フィリピンの家族計画関係者の一人として、歴史的な法律の成立をともに喜びたいと思っています。
(2013年8月、東京にて)