“Mr. Population”(ミスター人口)と呼ばれた男
UNFPA初代事務局長ラファエル・サラス
2016.5.24
- 実施レポート
ラファエル・M・サラス(1928年-1987年)が急逝してから来年で早30年となります。
会議のために出張していたワシントンのホテルの一室で急性心不全のため倒れ、翌朝ベッドわきの床の上で冷たくなって発見されました。1987年3月4日でした。
この訃報は世界中を駆け巡りました。
私たちは、その時、タンザニアのアルーシャにおいてアフリカインテグレーション・プロジェクト地域会議中で、急逝を知らされました。現地に赴いていた当時のジョイセフ理事長・國井長次郎はあまりのショックで、しばらく動けない状態であったのを、そばにいた私たちは目の当たりにしています。
ラファエル・サラスは、世界の人口問題解決の糸口を国連の立場で作り上げた偉大な人物でした。
1985年12月3日、経団連会館で行われた特別講演会
マルコス大統領の官房長官を務めたサラスは、マルコスとの政治的な対立により、1969年7月にフィリピンを離れ新たなミッションを国連に求めました。最も熱く難しい課題であった人口問題に身を投じることになるのです。当時40歳のサラス。国連事務総長ウ・タントによってUNFPAの初代の事務局長として(当時は国連人口活動基金、1987年に国連人口基金と改称)に招聘されたのです。UNFPAは1969年10月1日にサラスのリーダーシップのもとに正式に創設されました。
サラスはフィリピンでは、若くしてマルコス大統領もとで、「緑の革命」を成功させるなど、すでに多くの偉業を残していました。対外的にも秀逸な人材として注目されていました。
サラスは、その後18年間で数々の歴史的に記録される業績を残しています。UNFPAは、当初わずか数名の職員で、まずは基金集めから始めなければなりませんでした。当時においては、人口問題の考え方や認識は多様で、むしろ人口増加抑制に反対する国々の影響は強く、「逆風」となっておりサラスの仕事は実に困難を極めていました。
このような状況のもとで、サラスは1974年の初の政府間会議である「世界人口会議」の準備のために世界を駆け巡りました。130余カ国が一堂に会した初の人口問題に関する政府間会議が実現し、「世界人口行動計画」が採択されました。UNFPA発足後5年目の一大プロジェクトがサラス46歳の時に、成功裏に終わりました。その後もサラスは、行動計画の世界各国のアクションに向けて、さらに多くの国々を巻き込んでいくのです。
サラスはUNFPA以前の1968年、テヘランで開催された国際人権会議での副議長役で、すでに国際的にも注目を集めていました。サラスは人権を基礎にした人口問題の解決を説いていた第一人者でした。たとえば、家族計画を個人や夫婦の基本的人権として宣言したのもサラスの貢献によると言っても過言ではありません。
人口問題は、時としてその目的を「人口抑制」、「家族計画」はその手段という考え方がまかり通っていた時代的背景もありました。確かに人口の急増期に当たってはいましたが、サラスは、家族計画はあくまでも個人の幸せや福祉を追求したもので、個人の自らの決定に基づくものでなければならないということを繰り返し説いていました。しかし当時の先進国には、貧困国の人口が急増することを抑制するために家族計画を人口抑制の手段とし使う、そのために資金を出すという姿勢があったのは歴史が明らかにしているところです。
サラスは、日本文化にも造詣が深く自ら英語による俳句を作り、AからZまでのすべての国で、詠んだ俳句を句集にまとめるという文化人でもありました。サラスが生前よく語っていたことで、ほとんどの国連加盟国を自ら訪れました。日本にもしばしば来ていましたが、わずか2時間の会議のためであっても、自らブリーフケース一つでやってきたことがしばしばでした。今考えればこの間に、サラスは自らの寿命を縮めていたのかもしれません。
“Mr. Population”(ミスター人口)のニックネームを持つサラスがいなかったら、今、世界が人口や開発、人権や女性の問題について自由闊達に語ることがなかったかもしれません。サラスはその素地を創ったのだと思います。58年の生涯は実に短いものでしたが、すべての時間を捧げて人口問題解決のために尽くしたサラスの命や志は誠に尊いものでありました。1969年から1987年のサラスのUNFPA事務局長としての人生は、世界の人々が歴史を振り返った時に必ずや顕彰されるべき人類史の1ページと断言できます。
サラスは、世界の人口問題を国際的な課題であると提唱してきたパイオニアとして、今でもどこかでこの地球を見ているに違いありません。サラスが、現状をどのように見ているのかが気になります。当時40億人だった世界人口が今や73億人を超えました。今だからこそ、ラファエル・サラスの鋭い分析を聞いてみたいと思うのはわたしだけではないはずです。
(ジョイセフ常務理事 鈴木良一 2016年5月、東京にて)