MSD株式会社のグローバルNGO支援プログラム「MSD for Mothers」の資金協力を受け、ジョイセフは「家族計画・妊産婦保健サービス利用促進プロジェクト~社会・文化的バリアを越えて~」をミャンマーで実施しています。
事業対象地のエヤワディ地域で活用する教材づくりが進んでいます。
ミャンマーの妊産婦死亡率は、都市部の出生10万あたり192.5に比べて農村部は309.7と約1.5倍で、都市と農村地域には大きな格差が見られます(2014年国勢調査)。
事業対象地のエヤワディ地域は、南西部のデルタ地帯の農村地域です。雨期には陸路での移動が困難になる、また貧困世帯が多く、交通費負担感から出産時に村の伝統的助産師に頼る家庭もある、などの課題が多く、国内で2番目に妊産婦死亡率が高い場所です。
「家族計画・妊産婦保健サービス利用促進プロジェクト~社会・文化的バリアを越えて~」では、妊産婦ケアや家族計画サービス利用実施におけるバリア(障壁)を、調査を通じて特定し、そのバリアを乗り越えるための方策として、次の2つの方法で取り組み、妊産婦保健や家族計画サービス利用を促します。
1つは、「母子保健推進員」と呼ばれる保健ボランティアによる妊産婦さんの家庭訪問を通じた啓発活動です。目的は、産前・出産・産後の保健サービスや家族計画に関する情報を届け、また不安なことや誤解を減らし、サービス利用を促すことです。
もう1つは、経済的な負担を軽減するための住民が資金を集めて運営する、バウチャー制度のモデル導入です。バウチャー制度とは、現金と引き換えられる「バウチャー」を、保健省が定めている適切なタイミングで産前・産後健診を受け、施設で出産する女性に手渡す仕組みのことです。医療施設を受診する上でのバリアとなっている、施設に行くための交通費、出産で入院する際の食事代、といった経済的な負担を軽くするために行います。
(参照:https://www.joicfp.or.jp/jpn/column/myanmar-project-report-202211/)
今回は、1つ目の方策のもとに作成した、「ディスカッション・カード」の制作過程についてご紹介します。これは、近所に暮らす妊産婦やその家族と、産前・出産・産後の保健サービスや家族計画について、母子保健推進員がより円滑に対話ができるようにするためのツールです。
1.「社会・文化的バリア」を理解する
2019年のプロジェクト開始後、プロジェクト対象の2タウンシップで調査を実施したところ、次のことが分かりました。
産前ケアの受診を阻害する要因は、保健施設までの交通費
施設で出産しない理由には、交通費や入院中の食事代、仕事を休むことによる収入の喪失といった間接的費用の問題がある。間接的費用がかからないという理由から、1割弱の人たちが近所に暮らす、専門的な技能を持たない伝統的助産師(TBA)の介助により出産した
出産した女性が産後健診を受けられない理由は、主にケアを提供する側にある。交通費がかかることやケアを提供する基礎保健スタッフ(BHS、主に助産師)の多忙さが、産後ケアのための家庭訪問を妨げていた
家族計画については、副作用の不安や誤信が避妊具の使用を妨げている主な原因であった
2.コミュニケーション戦略
上記の調査結果をもとに、啓発活動を通じて、阻害要因を取り除く方策を考えました。コミュニケーション活動を通じて、何を目指すか、どのような内容のメッセージを伝達するのか、メッセージの送り手と受け手は誰か、どこで、どんな方法でメッセージを伝達するのが最も効果的かを考え、戦略を立てていきます。さらに、どのような教材であれば活動を効果的にサポートできるのかも特定していきます。
このプロジェクトの目的は、「産前健診の4回以上の受診」「専門的な技術を習得した医療従事者の介助による出産」「施設での出産」「産後健診の2回の受診」「家族計画サービスの利用」が増えることです。したがって、コミュニケーション活動の目的として、以下3点を設定しました。
1.妊産婦とその家族に対して、妊産婦保健および家族計画サービスを受けることで得られるメリットを伝える
2.妊産婦とその家族に対して、家族計画や妊産婦保健サービスを利用する際に阻害要因となる社会・文化的なバリアを乗り越える方法について伝える
3.妊産婦の家族、近所や地域の人びとに対して、妊産婦が必要なタイミングで妊産婦保健や家族計画サービスを受けられるように協力を働きかける
上記の1と3を達成するために伝えるメッセージの内容は、ミャンマーの保健省が提示しているメッセージや、彼らの監修のもとで作成された教材内容を参考に作成しました。しかし、2についてはそのような内容の教材はなかったために新たに作る必要がありました。
3.既存の教材のレビュー
コミュニケーション戦略ができたら、次に教材制作に移ります。ミャンマー国内で使われている母子保健・家族計画に関する教材を60種類以上集め、ジョイセフ内で内容を精査し、事業に使えるものがないか検討しました。
ところが、知識を伝える教材はあっても、社会・文化的なバリアを扱った教材や、産前健診を必要な回数受けない、医療従事者による施設での出産をしない、産後健診を受けない、家族計画を利用しない、という人たちを説得するためにどうすれば良いかについての既存の教材はありませんでした。そこで、これらを含む教材を一から作ることになったのです。
4.ディスカッション・カードの制作
このプロジェクトでは、メッセージを伝達する人は、母子保健推進員および基礎保健スタッフと呼ばれる助産師などの医療従事者です。他方、メッセージの受け手は、妊産婦、その家族、近所や地域の人たちです。妊産婦の家、基礎保健スタッフが保健教育を行う場、地域の集まり、家庭訪問等で行われる保健教育活動で情報を伝えます。
これらの活動をサポートするための教材として、母子保健推進員ハンドブック、母子健康手帳、リーフレット、双方向のコミュニケーションをサポートするディスカッション・カードが特定されました。ジョイセフは、これまでにミャンマーを含むいくつかの国で、保健ボランティア用の教材としてディスカッション・カードを作成し、使用したことがあります。一対一や少人数での啓発教育活動の場で、対話を促進する際に効果的なことがわかっているため、このプロジェクトでも導入を決めました。
教材づくりには、現地のパートナーとの二人三脚の体制が欠かせません。現ミャンマーの軍事政権下ではミャンマーへ出張しづらく、日本から遠隔で制作を進める必要があるため、教材制作の経験が豊富な協力者がミャンマー現地に必要でした。そこで、10年ほど前に一緒に教材を作成した現地の専門家2名に協力を仰ぎました。
専門家からは「ぜひ一緒にやりたい」と快諾が得られ、2022年7月からオンラインでの協働作業が始まりました。毎週火曜日の日本時間の20時半、ミャンマーでは18時から、オンライン会議を約1時間実施し、アイディアを出し合ったり、たたき台にコメントをしながら進めてきました。
目的の2番目に掲げた「社会・文化的バリアを乗り越える」ことをサポートする教材については、「これだ」というものに行き着くまでにかなり時間がかかりました。
たたき台のアイディアは、専門家チームからも提案してもらいました。しかし、彼らから出される案は、知識を伝えるものばかりで、社会・文化的なバリアに関する内容が入っていませんでした。「正しい知識を伝えることこそが、これらのバリアを乗り越えるために一番大切だ」と彼らは言います。この背景には、先に述べた、既存の教材60種類以上と共通して、ミャンマーでの啓発活動や保健教育活動が、知識の伝達中心に行われてきたことがあると考えられます。
ジョイセフは、これまで、調査やインタビューなどから社会・文化的なバリアを特定し、それをストーリーに入れた紙芝居や映像ドラマのほか、行動の阻害要因を考慮したうえで、相手の立場に立ったメッセージの伝え方が書かれた「メッセージパッド」を作り、実際の啓発活動の現場で活用しています。
ミャンマーの専門家チームにこのような例を出しながら説明を試みましたが、私自身「社会・文化的バリアを乗り越える」教材が何なのか、彼らが納得できるように説明できませんでした。またミャンマーでの度々の停電により、インターネットの接続が切れたり、画面が固まったりして、コミュニケーションが中断することも多々ありました。こういう状況で新しい教材を生み出すのは無理なのかもしれない、と半ばあきらめの心境にもなりました。
ところが、協働作業を始めて1カ月後の8月に、ミャンマーに3週間出張して、専門家チームと現地で集中的に制作作業を行えるようになりました。議論や協働作業を対面で行い、これまでの事例を交えながら説明することで、お互いの考えている内容の理解が進み、ディスカッション・カードが徐々に形になっていきました。
カードの表面には、トピックに関するイラストが描かれています。裏面には会話を始めるための「呼びかけメッセージ」や「キーメッセージ」、そして母子保健推進員が相手からの反応に困ったときの対処法をまとめた「ヒント」の3種類を記載しています。
実は、3種類の事柄の記載を事前に考えていたものの、「ヒント」の部分に記載する内容はなかなか決まりませんでした。行き詰まっていた時に、助け舟を出してくれたのは、ミャンマー事務所のシニア・コーディネーターのチットさんでした。彼が議論に入って不意に、「ここには、母子保健推進員が反論されたり、対応に困ったときにどうしたら良いのか、彼女たちへのアドバイスを入れたらいいんだよ」と言ったのです。この一言で方向性が決まり、一気に作業が進んでいきました。
教材制作の過程では、行き詰まるときが何度もあります。しかし、チームでやっていると、誰かが逆転ホームランになるアイディアを提示してくれたり、もう少し粘ろうとがんばってくれたりします。また、お互いのアイディアや、専門性と経験を掛け合わせることで、なんとか乗り越えられるのです。チットさんの一言は、まさに状況の打開につながりました。
5.10枚目のカード
ディスカッション・カードは10枚で1セットにすることにしました。ようやく9枚分の内容は固まりましたが、最後の1枚をどうするかで、再び行き詰まりました。現地の専門家チームが作成した内容は、これまで出てきた内容をまとめただけのものでした。9枚にすることもできましたが、みんなの中には「もう一つ入れたい」という思いがありました。
そこで私が提案したのは、「あなたの未来はあなたがデザインする」という内容のカードでした。長期的な視点から“あなた自身”が描く未来を実現するために家族計画や妊産婦保健サービスを受ける、という行動を自ら選べるように、女性一人ひとりがエンパワーされることをサポートするカードです。そのようなカードが1枚あっても良いのではと考えました。
この考えの背景には、ジョイセフが以前に作成した「I LADY. ノート」があります。自分の人生を自分で決めて、アクションすることを後押しするために作られたI LADY. ノートには、自分自身を振り返る質問がいくつか用意されています。その内容をディスカッション・カードにも応用してみようと提案しました。みんなこのアイディアに賛成してくれ、早速テキストとイメージづくりに取りかかりました。
6.ディスカッション・カードのプリテスト結果
ディスカッション・カード10枚と使い方の説明書ができた後は、ミャンマーの保健省に提出しました。
保健省の複数の担当部署から、テキストとイラストについてチェックを受けた後に戻ってきたコメントやインプットの中には、「『地域のサポート』と『あなたの未来設計』に関するカードの代わりに、妊産婦と新生児のケアに関する内容のカードを増やすように」というコメントがありました。一方、別の部署からのコメントは、「『地域のサポート』と『あなたの未来設計』に関するカードは重要だから、そのまま入れておくように」というものでした。
このプロジェクトで目指していることは、女性たちが自分の身体や健康について積極的に考え、いつのタイミングで必要なサービスを受けるかを選択し、行動できるように後押しすること。そして彼女たちの選択や行動をサポートする、周囲の人たちのへの働きかけです。保健省からのコメントを活かしつつ、事業として伝えたいメッセージを残せるように、さらに内容を練りました。
その後、実際に、一般の女性たちに参加してもらい、できあがった教材でプレテストを実施しました。
このプレテストの目的は、次の3つです。
- 参加した女性たちがメッセージやイラストを容易に理解できるかどうかを測ること
- 教材を好ましく感じるかどうかに関するフィードバックや、教材で使われている表現の改善に関する提案を集めること
- 参加者たちにとっての教材の受容性や惹きつけられる点に関するフィードバックを評価すること
参加者は、保健スタッフ、看護大学の学生、妊婦、乳児を持つ母親など、合計21名です。体験後の結果は、70%以上の参加者がこの教材について好意的でした。興味深いのは、参加者の90.4%(19人)が、自分の行動を変えるために最も適した情報として、「あなたの未来設計」のカードを選んだことです。その理由に、「すべての女性、すべての母親が家族の将来に対して希望や夢を持っているから」と話す女性もいました。また「これらのイラストやテキストは、より良い未来への希望を持って、健康的な生活を目指す強さを見出すように、女性を勇気づける」という感想を持つ参加者もいました。
7.完成に向けて
現在、ディスカッション・カードは仕上げの最終段階にあります。保健省からその後もいくつか修正するよう要請が入り、修正作業を数回行いました。保健省の担当者たちがこのディスカッション・カードをより良くするために、何度も見て助言してくれたおかげで、完成度が上がりました。
海外で教材を作成する時には、その国から許可を取り付けることが必要です。そのため、何度も修正したり、あるいは自分たちの考えを理解し受け入れてもらうために担当部署とやりとりを重ねます。教材制作の道のりはとても長いのです。
保健省からの承認が下りたら、このディスカッション・カードを使ったコミュニケーション力強化のための研修を行います。まず、基礎保健スタッフ向けに指導者の研修を、その後、3600人以上いる母子保健推進員を対象に、指導者となった基礎保健スタッフたちが研修を実施します。新しい教材の特性を基礎保健スタッフがきちんと理解し、母子保健推進員がこの教材を活用していくために的確に指導できるよう、ていねいに研修の準備を進めています。
母子保健推進員たちは、コロナ禍や軍事クーデターで日々の生活が難しい状況にあっても、意欲的に活動を続けています(https://www.joicfp.or.jp/jpn/column/movie-myanmar2022/)。そのような彼女たちの手元に、このディスカッション・カードが一日も早く届く日を想像しながら、彼女たちの日々の活動を後押しできるように、私たちも一歩ずつ完成に向けた作業を進めています。
- Author
吉留 桂
2001年よりジョイセフを通じてセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツの実現に向け国際協力活動に従事。主に社会行動変容コミュニケーション分野(コミュニケーション戦略構築、教材企画・開発、教材使い方指導、住民主体の課題解決に向けた仕組みづくり等)の技術協力を通じた、住民の行動変容や支援環境づくりに取り組む。アジア・アフリカ・ラテンアメリカ16カ国の事業に携わる。趣味は合気道と料理。