「非力感」からの第一歩。「思い」を届ける
日本のみならず世界中の人々が、流れてくるニュースに悲鳴を上げたあの東日本大震災から10年という月日が流れました。経てきた歳月は長かった。
当時、メディアからの、復興には10年近くかかるであろうという情報に、先進工業国の日本でそのような遅れが許されるのかとか、日本の英知を結集すれば日々の暮らしの回復はもっと早くできるはずだとか、勝手ないら立ちを覚え、歯がゆい思いをした日々がよみがえります。
一刻でも早く妊産婦、子ども、女性たちが安心して過ごせる環境になって欲しいと願いながら、その一方で、限定的なことしかできない自分たちの「非力感」に苛まれていました。
東日本大震災は、国際協力を使命とするジョイセフにとって、初めての国内支援活動となりました。
そして、ジョイセフが途上国で築き上げてきた活動の枠組みは、日本国内においても有効に活かせることを学ぶ機会となりました。
ジョイセフの活動が少しでもお役に立てたと感じられたのは、日本国内のみならず、世界中の人の「思い」を、ジョイセフの活動を通じて被災された方たちにお届けできたという点にあります。
東日本大震災の復興活動に参加することで、それがごく限られた一部の活動ではあっても、世界中の人と人とのつながりや思いやりを実感する日々を過ごすことになりました。
災害によって浮き彫りになった意思決定プロセス、ジェンダーの問題
被災者には当然男性も女性そして性的マイノリティの方たちもいます。
意思決定のプロセスがほぼ男性だけに占められてしまうということは、女性たちをはじめ他のジェンダーの抱える問題、ニーズが十分反映されない恐れがあります。
役割が固定されてしまい男性たちが決め、実施するのは女性たち。避難所の運営でも方針を決めるのは男性で、実際動くのは女性たち。必要な物資の調達にあたっては母子や女性たちが必要としている物資に対する配慮がないケースが多くありました。(具体例:授乳したり、おむつを換えたりする場所や、下着が干せる目立たない場所の確保、物資では女性たちの月経ナプキンや、肌荒れを防ぐスキンクリーム等)
改善にはもちろん時間がかかりました。
伝統的に男性優位の風潮が強い地方で、しかも緊急事態です。
全て男が責任を持つべきだと真剣に思っている被災者も多く、女性が意思決定のプロセスに参加する、しかも一人ではなく複数人でという提案を実行に移すことが可能になってくるまでには「年」の単位が必要でした。
今では被災・緊急・復興時の体制について行政が発行しているガイドラインには、必ず女性も含むジェンダーの多様性が必要であることが明記されています。
「ケショ」。被災した産婦たちが最も必要としているものを届けるために
被災者支援に当たっている地元の関係者からの聞き取り調査で、被災者、それも産婦たちと女性が最も必要としているのは自らの意思で使える「現金」だとわかりました。
多くの支援物資が届く一方で、自分と家族が必要としているものは別にあるが、わがままだと思われることを心配し、言い出せない。
舅、姑、夫が財布を握っている現状。そして、ほとんどの義援金は世帯主の口座に振り込まれます。ジョイセフに寄せられた寄付をできるだけ被災した産婦たちに直接渡したいと、その時強く思いました。
1人当たり5万円という金額は決して大きい金額ではありません。
でもジョイセフは想像が付かないほどの痛手を受けている産婦たちに直接届くエールを送りたかったのです。
自分で財布を持たない女性たちがいる中で、自分名義の口座を持っていない女性もいると聞きました。
ジョイセフは現金は直接女性名義の口座に振り込むという条件を付けることで、これは産婦たちのお金ですと明確に意思表示をしました。
自分の名前で口座を初めて作ったと知らされたのは1件だけではありませんでした。わずかかであっても「自分のお金を持つ」、これがジョイセフからのエールです。
ジョイセフはこの後ケショを受けとった女性たちに支援キットも送りました。肌着、基礎化粧品など、全て新品で女性と新生児のためのものがいっぱいに詰め込まれたキットです。それまで家族のことだけを考えながら暮らしてきた女性たちにとって、初めて自分のためのキットを受け取って涙が溢れたと感想を寄せてくれた方もおられました。
災害が発生してからでは遅い。いざという時に有効なネットワークづくりを
赤ちゃんや小さな子どもを持つご家族は、災害発生後の早期に避難所を離れて実家や親戚、知人宅や車中(熊本地震時)に避難することが多く、避難所に母子の姿が見えないことが少なくありません。
健診や妊産婦ケアで接点のある保健師や助産師ですら、災害発生後の母子の避難先や安否を十分に把握できないのが実態です。
情報が行き渡らないために、母子への支援が届きにくいといったことも起きます。
ジョイセフは、東日本大震災以降の大規模災害において私たちと共に被災者支援活動に携わってくださった関係者との経験共有会を2019年11月に開催し、経験と学びを共有しました。
参加者から異口同音に挙がったのは、災害が発生してからネットワークを作るのではなく日頃からネットワークを作っておくことが将来の災害に備えて不可欠だということでした。地域の人々のつながりはもちろんのこと、妊産婦と助産師や保健師などの専門家や企業などの支援を提供する側のつながり、そして、母親同士、専門家同士のネットワークも大事です。
そのネットワークの中で、普段から防災について話し合ったり、他の地域の経験から学び防災や災害時の支援に役立てていく。男性を含む地域全体で女性を支えていくことも大切です。
ジョイセフは、平時からのネットワークづくりを目的に、東日本大震災から10年となる今日、オンラインプラットフォーム「私のほっとコミュニティ 4H」を立ち上げました。ぜひ、たくさんの皆さんにコミュニティを活用していただけることを期待しています。
地域の復興は地域の人たちの力で。そのための側面支援をする
産後うつはもちろん、被災者のメンタルケアは中・長期にわたります。
ジョイセフが東日本大震災をきっかけに復興支援を開始すると決めた段階で、支援にあたってのジョイセフの方針を作成しました。
その中の一つが、復興支援にあたっては、現地の保健・医療関係者の活動の側面支援に注力することです。活動の継続・持続性を考え、特にジョイセフは地元の助産師活動を全面的に支援しました。大きなトラウマを抱えた母親たちは簡単には心は開いてくれません。
助産師さんたちが直接肌に触れながら施してくれるハンドマッサージや乳房マッサージなどを通して、悩みを打ち明け、少しずつ回復するプロセスを応援してきました。
同時に、地域の保健師活動の支援を、失ってしまった乳幼児健診に必要な資機材の提供を通じて行ってきました。
また、ことに激しいトラウマを抱えた女性たちに対しては、専門家の指導によるグループカウンセリングを実施しましたが、これも地元の保健師を養成することで、地元での継続が可能となりました。
地域の復興は地域の人たちの力で。その側面支援をジョイセフは行っていく。これからもこの方針はかわりません。
3.11の経験を未来に紡ぐ
助産師・保健師といった地元の保健人材を通じた支援をすることで、女性に寄り添う継続的な支援活動をする。ジョイセフをサポートしてくださっている企業、団体そして個人の方たちには、その点を評価していただいていることと思います。
その一方でジョイセフのスタッフも少しずつ育っています。緊急・復興支援に関わるトレーニングを受けたり、国際的に活動している国連・国際機関のスタッフたちとのネットワークや情報交換を行ったりしています。
何よりも実際の支援活動を通じての学びが大きく、スタッフの働きかけの中から被災者の方たちのつながりが生まれようとしています。
情報媒体・環境が急速に変化している中で、緊急時に必要とする、しかも正確な情報がどこで、どうやって得られるか。この問いに応えられるネットワークを構築しようとしています。
ジェンダーの問題は短期的に解決をすることはできません。今までは外堀を少しずつ埋めながら課題解決を図ろうとしてきました。ただ、最近は状況の変化が早く大きくなっていると感じます。
若者の動きが最も早いのは当然と言えば当然ですが、若者の情報発信の手段の多様化、スピード感が増しています。
途上国における事業実施、人材の養成、政府に対する提言活動、他の団体・組織等の連携を通じて、女性をはじめとする当事者をエンパワーする必要があると思います。
その先にジョイセフが目指す、「選択できる世界」が実現できるように。
この10年を、これからの10年に活かしたい
東日本大震災の年に生まれた子どもたちはすでに小学校高学年。あと10年経つ頃には、その中から、途上国の女性や子どものために働きたいと思う若者が育ってくることを願っています。そしてジョイセフはこれからも活動を展開していきます。世界中の思いがつながることを願いつつ。
ここに改めて、東日本大震災で命を落とされた方たちのご冥福をお祈りいたします。
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- Author
石井澄江
公益財団法人ジョイセフ 代表理事。1975年からジョイセフ勤務。ジョイセフの海外プロジェクト推進とアドボカシー事業を中心に手がける。数多くの国際会議にNGOとして参加。1997~98年、2000~2002年の2回にわたりJICAベトナム・リプロダクティブ・ヘルス(RH)プロジェクトのチーフアドバイザーとしてベトナム・ゲアン省に赴任。2011年はジョイセフとして初めての国内支援活動である東日本大震災の被災地支援実施。