知るジョイセフの活動とSRHRを知る

各地の現場から。過去の日本の事例から、時代も国も超越えて学ぶこと

2023.11.9

海外事業グループ 浅村里紗

都市に暮らす財力のある女性は良い医療を受けることができるけど、少しでも郊外にある農村に行くと、人々の生活は貧しく、良い医療サービスをなかなか手にいれることができない。女性の健康課題は多く、格差が大きい。解決に向けてどこから始めたら良いのかわからない………」とつぶやいたのはシエラレオネの保健省の方。頷いて聞き入るブルンジの方々。

今2023年の1月に、5カ国(インドネシア、ガーナ、シエラレオネ、ナイジェリア、ブルンジ)の13名の保健指導者が、JICAと協働して実施した「母子継続ケアとUHC」研修(オンライン)に集いました。「誰一人取り残すことないよう、防ぐことのできる母親や赤ちゃんの死をどのように地域ぐるみで防ぐことができるのか……」。日本生まれの国際協力NGOとしてのジョイセフの視点から、皆で日本の事例をもとにディスカッションを重ねました。

 岩手県沢内村(現・西和賀町)は、昭和30(1955)年代まで豪雪、貧困、多病の三悪に苦しめられる地域でした。深澤村長のリーダーシップの下、人々がつながり、昭和37(1962)年に日本で初めて乳児死亡ゼロを達成した市町村です。旧沢内村のドキュメントを見た後のコメントで印象的だったのは「村長が自ら村民の話を聞き、保健師に声をかけ、信頼を得ていく様子から勇気を得た」「私たちはデータを集めて上部組織に報告することに集中しているけれど、小さな変化も逃さず村民にていねいに伝えて、互いに励まし続けた保健師の皆さんは素晴らしい。本来あるべき情報収集とその活用について気づいた」などなど……。他にも数えきれないほどの熱いコメントであふれました。

 深澤村長とその仲間たちが目指したのは、「誰も置き去りにしない(UHC=全ての人が適切な予防、治療、リハビリ等の保健医療サービスを、支払い可能な費用で受けられる状態のこと)」。それが今、時代を越えて、国を越えて、気づき、共感し、学びあっている瞬間。心が震えました。

 各国の状況を共有しながら、いつの時代にもチェンジ・エージェント(変革を生み出す人)がいて、つながるってことで前進することを再認識しました。そして、皆がそれぞれの立場でリーダーであることも!

そして今、日本は時代の移り変わりとともに、地域保健の状況は変化してきました。今の時代に合わせつつ、日本も研修員とともに過去を振り返り、地域住民と保健行政(保健師・保健スタッフ)の間の信頼関係を構築する経験からも、改めて学ぶ時代が来たように感じています。

(写真は、保健師が雨や雪の中でも住民の元に出向き、状況を把握し、行政と住民をつなぐ重要な役割を担っている様子です)

Author

浅村 里紗
1984年に入職後、アジア・南太平洋、アフリカ、中南米でSRHRを推進する国際協力プロジェクトに従事。特にコミュニティにおける妊産婦保健、思春期保健、男性参加等の推進活動やヘルスプロモーション分野の教材開発と教材活用研修に係る。また、80カ国を超える約1200名の開発途上国の指導者を対象に母子保健を中心としたSRHR分野の研修事業を実施。趣味は、版画制作、サイクリング(愛車Root One)、ローカル電車の旅、水泳、写真(愛猫2匹)