連合総研 DIO9月号(9月1日発行)に掲載された記事に、加筆したものです。
セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツへの道のり ②
今回は、人口問題の歴史の中で、「数を抑制する」という視点から「個人の人権」へととらえ方が移っていったプロセスを振り返ります。
(2) 「数(マクロ)」から「個人の人権(ミクロ)」の視点へ
人口問題に「人権」という考え方が取り入れられたのは、1968年テヘランで開催された人権に関する国際会議と1974年にブカレストで開催された世界人口会議でのことでした。テヘランの会議では、家族計画は「親(parents)」の基本的人権であると明言され、ブカレストでは、「親」に代わって、「人々(persons)」の人権であるとされ、各国政府に対して、「人口に関する総合的目標がいかなるものであれ、人々には、子どもの数と出産間隔を十分な情報にもとづき、自由にかつ責任をもって決定する権利があることを尊重し保証する」よう勧告がされました[12]。さらに、人口増加は開発の遅れや貧困の「原因」ではなく、開発の遅れや資源の不公正な分配が、貧困を生み、人口増加を招いているという議論がなされました。
しかし、この頃の西側先進諸国と一部のアジア諸国は、途上国の急速な人口増加が経済発展を阻害するという強い危機感を持っていました。そのため、ブカレスト会議の合意は人権に配慮したものであったと同時に、人口政策は各国の主権を尊重し、政府の選択によっては、人口増加を抑制する必要性にも力点が置かれていました[13]。
1970年代には、男女平等の制度や女性の労働権、経済的な自立を求めるフェミニズム運動が欧米で盛り上がり、性と生殖に関する女性の選択権を求める声が高まっていきます。また、開発途上国の女性からも、個人の意思もニーズも無視した人口増加抑制政策に対する強い反発が起きました。特に1974年のブカレストでの会議以降、国によるトップダウンの人口増加抑制政策に反対して、自分の体は自分自身のものと主張し、性と生殖の自己決定権を取り戻すための運動を始めた女性たちの声が、次第に世界的に高まっていきます。
こうした1970年代の女性運動や1975年に制定された国際女性の10年(1975年~1985年)、そして1985年にナイロビで開催された第3回世界女性会議をきっかけに、リプロダクティブ・ライツ(RR)に通じる概念が国際的に拡がっていきました[14]。同時に、強制的あるいは半強制的な人口増加抑制政策への反省や改善の試みが、国際会議の場でも議論されるようになり、基本的人権としての家族計画、男女平等の確立、家族計画に対する男性の責任と役割、女性の政策決定過程への参加、女性に対するあらゆる暴力の撤廃などに対する認識が広まりました。
一方、リプロダクティブ・ヘルス(RH)という概念は、もとは1972年にWHOによって、人間の生殖に関わる保健ニーズを総合的に把握する研究を通して生み出された概念でした。それまで別々に扱われてきた課題(家族計画、避妊法の有効性、安全性や開発、予期せぬ妊娠、人工妊娠中絶、不妊治療、女性性器切除(FGM)、性感染症(STI)、妊産婦死亡、母子保健など)を、統一的に捉え直そうという考え方です[15]。
こうして、人口増加が開発の遅れや貧困の原因、すなわち「数」の問題だという考え方から、個人の人権と健康の視点から人口と開発を考えるICPDや北京会議への道筋が徐々につくられていきました。 ICPDの特筆すべき成果のひとつは、準備委員会への非政府組織(NGO:Non-Governmental Organization)の参加が認められ、女性団体を含むNGOが、会議での発言、議場内でのロビー活動を行い、「行動計画」の内容に大きな影響を及ぼしたことです。また、各国政府に対しては、ICPDの国内委員会や政府代表団にNGOを参加させるよう勧告があり、多くの政府がそれに従いました[16]。
ICPDを契機に、開発課題の解決にNGOをはじめとする市民社会の役割が重視されるようになっていき、政府や国連・国際機関と国際・国内NGOとの連携が促進され、SRHR分野の国際協力にもNGOの知見が活かされるようになりました。その結果、保健施設や機材のハード面だけでなく、妊産婦ケアや母子保健、家族計画のサービスの充実や正確な情報提供、コミュニティの保健ボランティアの養成、住民や思春期の若者への啓発活動、男性の参加促進、ジェンダー主流化等々、SRHRの改善のための様々な活動が展開されました。
SRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)は、ICPD以前に国際的に受け入れられ、確立している基本的人権の枠組み、例えば、生命・生存・自由および個人の安全保障の権利、平等の扱いを受ける権利、教育の権利、開発の権利、として捉えることができます。こうした権利は、国連憲章、世界人権宣言、女性差別撤廃条約、市民的および政治的権利に関する国際規約(ICCPR: International Covenant on Civil and Political Rights、自由権規約)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(ICESCR: International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights、社会権規約)によって保護されてきました。
ICESCR(社会権規約)第12条では、到達しうる最高水準の健康を享受する権利(健康権)を認めており、また死産と妊産婦死亡を減らすために必要なあらゆる方策を講じること、およびすべての国人に対する医療サービスと病気にかかった際の医療処置を保障するための条件整備を行うことを国家に義務付けています[17]。健康権は、女性差別撤廃条約[18]や子どもの権利条約[19]、障害者権利条約[20]などにも規定されています[21]。
SRHRの推進にとって、重要な指針となるのは、2016年に社会権規約の履行監視機関である社会権規約委員会(CESCR: Committee on Economic, Social and Cultural Rights) が、「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスに対する権利」について可決した一般的意見22号(E/C.12/GC/22)」です。これは、人権に基づいて定められたSRHRに関する事柄について深刻な違反が続いている状況に対して、条約機関が各国のSRHRの実現に向けた法的義務を広く示したものです[22]。
次回は持続可能な開発目標(SDGs)の策定と、その前身となるミレニアム開発目標(MDGs)について詳しく見ていきます。
全6回 世界におけるセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)の取り組み ~国際社会で揺れ動くSRHR
[12] 「世界のセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツを目指す道のり 1968-2021」2021年3月 日本語追補版 監修 芦野由利子 公益財団法人ジョイセフ2021(日本語追補・改訂版)
[13] 阿藤誠、ibid., 2000、p.65。1974年ブカレストの「国連世界人口会議」は、人権に配慮した合意がなされたものの、人口増加を抑制するための家族計画推進を主張する国々と、開発と公正な資源の分配こそが人口問題解決の鍵として先進諸国に対抗する国々との間で大論争となったことが、黒田俊夫「国連人口会議20年の軌跡-ブカレストからカイロへ-」October, 1996, APDA Resource Series 1にも詳しく解説されている。宗教的立場で家族計画に反対する勢力も加わり、国際社会の異なる立場や主張の対立が際立った会議だった。ブカレスト会議以降、高率かつ急速な人口増加を抑制することが、経済・社会の発展に必要であるとして、家族計画に表向き反対していた国々も、家族計画プログラムの援助を国連に要請するようになっていった。国家による人口増加抑制政策の強化に伴い、女性の人権を求める運動が広がっていった。
[14] 阿藤誠「国際人口開発会議(カイロ会議)の意義」人口問題研究(Journal of Population Problems950-3(1994.19 ) p. 13、 https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/16896001.pdf セクシュアル・ライツとセクシュアル・ヘルスが、それぞれ別の背景によって出現した概念であるという点について、谷口真由美『リプロダクティブ・ライツとリプロダクティブ・ヘルス』2007年4月、信山社出版 に詳しい分析がされている。
[15] 阿藤誠、ibid. 1994、p. 13
[16] 阿藤誠、 ibid. 1994
[17] UNFPA『世界人口白書1997-選択の権利』, pp. 8-9
[18] 女性差別撤廃条約12条 https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html
[19] 児童の権利に関する条約第24条 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html
[20] 障がい者の権利に関する条約第25条健康 https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000899.html
[21] 斎藤文栄・福嶋雅子、ibid.
[22] Lucia Berro Pizzarossa, ibid., p11.
用語・注釈
- リプロダクティブ・ヘルス (カイロ会議「行動計画」7.2より)
- リプロダクティブ・ヘルスとは、人間の生殖システム、その機能と(活動)過程のすべての側面において、単に疾病、障がいがないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指す。したがって、リプロダクティブ・ヘルスは、人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力をもち、子どもを産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかを決める自由をもつことを意味する。
- リプロダクティブ・ライツ (カイロ会議「行動計画」7.3より)
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すべてのカップルと個人が、自分たちの子どもの数、出産間隔、出産する時期を自由に責任をもって決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという権利。また、差別、強制、暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行える権利。さらに、それを可能にする情報と手段を得て、その方法を利用することができる権利。女性が安全に妊娠・出産でき、また、カップルが健康な子どもをもてる最善の機会を得られるよう適切なヘルスケア・サービスを利用できる権利が含まれる。
以下は、公益財団法人ジョイセフがわかりやすい説明を試みたもの
ジョイセフWEBサイト 説明ページへ
- セクシュアル・ヘルス
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自分の「性」に関することについて、心身ともに満たされて幸せを感じられ、またその状態を社会的にも認められていること。
- リプロダクティブ・ヘルス
- 妊娠したい人、妊娠したくない人、産む・産まないに興味も関心もない人、アセクシュアルな人(無性愛、非性愛の人)問わず、心身ともに満たされ健康にいられること。
- セクシュアル・ライツ
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セクシュアリティ「性」を、自分で決められる権利のこと。
自分の愛する人、自分のプライバシー、自分の性的な快楽、自分の性のあり方(男か女かそのどちらでもないか)を自分で決められる権利。
- リプロダクティブ ・ライツ
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産むか産まないか、いつ・何人子どもを持つかを自分で決める権利。
妊娠、出産、中絶について十分な情報を得られ、「生殖」に関するすべてのことを自分で決められる権利(自己決定権)。
- Author
勝部 まゆみ
UNDPのJPOとして赴任したガンビア共和国で日本の国際協力NGOジョイセフの存在を知り、任期終了後に入職。日本赤十字でエチオピア北部のウォロ州に赴任するために一旦ジョイセフを退職、3年後に帰国・復職。ジョイセフでは、ベトナム、ニカラグア、 ガーナ、タンザニアなどでリプロダクティブ・ヘルスプロジェクトに携わってきた。2015年から事務局長、2017年6月から業務執行理事を兼任し、2023年6月に代表理事・理事長。