大学在学中のスウェーデン留学をきっかけに、日本でのSRHR(性と生殖に関する健康と権利)の実現をめざす「#なんでないのプロジェクト」を立ち上げた福田和子さん。国内で普及が遅れている近代的避妊法へのアクセスや、ジェンダー平等、包括的性教育の推進を求め、政策提言や執筆・講演、研究、大学での講義など、国内外で精力的に活動してきました。
ジョイセフとは、プロジェクト「I LADY.」のアクティビストとして「ウーマン・デリバー」(ジェンダー平等や女性の健康と権利に関する世界最大級の国際会議)に参加するなど、2018年頃から共に活動しています。
「SRHRを広めて、性で傷ついたり制限を受けたりすることなく、人生を豊かに自分らしく生きられる社会をつくりたい」と前進を続ける福田さん。原点には、「女性が自分らしく生きることはできない。男性中心の社会から期待される『いい女』になるしかない」というあきらめと、それを根底から覆したSRHRとの出会いがありました。
目次
1. 吉原遊郭の時代から変わらない「女性が生きることの限界」
2. 性に関する公共政策は、はたして誰を優先してきたのか
4. SRHRは「あたりまえの健康と権利」だと知った
4. 女性が自分を守れない、けれど自己責任の国・日本
5. 「良妻賢母」と「娼婦」
6. 私のからだ、私の人生。自分で決めて生きられる!
吉原遊郭の時代から変わらない「女性が生きることの限界」
福田さんは、日本屈指の歓楽街・歌舞伎町の近くで生まれ育ちました。性産業がさかんな土地柄、街を歩く女性たちは若さや容姿で「値踏み」され、スカウトマンから声をかけられます。こうした風景が日常にあったことで、「女して生きる」とはどういうことか、子どもの頃から考え始めたといいます。
「女性というだけで、どうしようもない限界を課されているという感覚がありました。その中で生きのびるために、男性が望む『いい女』にならなければという、強迫観念すら刷り込まれたと思います」
そんな福田さんは中学生の頃、宮尾登美子の小説をお守りのように持ち歩いていました。題材として登場するのはクレオパトラ、徳川将軍の妻になった天璋院篤姫など、苦難に遭いながら自分の芯を通す女性たち。そして同じように「自分の芯を通して生きたい」と願い抗う、遊郭に生きる女性を描いた物語がたくさんありました。
「宮尾さんは高知の花街で、芸妓紹介業を営む家に生まれました。彼女はその家の大切な『お嬢さん』として扱われますが、一緒に暮らす少女たちは売られてきた存在。宮尾さんが学校に行っている間、みんなは芸の稽古や下働きをして、いずれ芸者や娼妓になる。小説には、そのようなどうしようもない運命を前に、できるかぎり自分の力で生き抜こうとする女性たちの姿が鮮明に描かれていて、惹きつけられました」
遊廓の世界は、福田さん自身が幼い頃に感じ取った「女性に課された限界」そのものに思えたのかもしれません。次第に遊女たちが遺した手記や記録を読みふけるようになった福田さんは、国際基督教大学(ICU)に入学後、遊廓の研究にのめり込んでいきます。
「吉原の街や史跡をめぐってフィールドワークを重ね、大学の空き教室を借りて、勝手に講演会を開いていました」
やがてジェンダー勉強会などでつながりができた東京外国語大学や、自身の通う大学からも声がかかり、学生ながら正規の授業で講演をするまでになりました。
吉原遊郭*といえば、花魁(おいらん)の装いや派手な暮らしなど、華やかなイメージで語られることもあります。しかし実際は、女性が自由を奪われ性を搾取されて、性感染症や妊娠、危険な中絶で命を落としていく「苦界(くがい)」でした。
「身売りして得るお金は、借金返済や入浴料、髪結い、布団や食事の代金に消え、手元に残るどころか借金が増えることも少なくありませんでした。まん延していた梅毒に治療法はなく、妊娠すれば水銀や鬼灯(ほおづき)を用いた危険な堕胎を強いられる。吉原の近くに遊女たちが葬られた『浄閑寺』がありますが、亡くなった平均年齢は、台帳記録によれば21歳でした」
*吉原遊郭:江戸幕府によって公認された江戸の遊廓
性に関する公共政策は、はたして誰を優先してきたのか
やがて福田さんは、性をめぐる公共政策に目を向けるようになります。たとえば明治時代、貧しかった島原・天草などの地域を中心に、東南アジアに出稼ぎに行く女性たちがいました。「からゆきさん」とも呼ばれた彼女たちは親孝行な出稼ぎ娘とされ、日本政府も外貨を獲得する手段として、『娘子軍(じょうしぐん)』と賞することもありました。しかし西洋諸国から人身売買のそしりを受けると、政府は態度を一転。手のひらを返すように女性たちを恥とみなし、彼女たちは帰国すら難しい状況に追い込まれました。
近代公娼制度や従軍「慰安婦」、第二次大戦敗戦後すぐに作られた、占領軍GHQ・米軍から「一般婦女子」を守る「性の防波堤」“RAA(Recreation Amusement Association・特殊慰安施設協会)” 。「こうした性に関する政策は多くの場合、ぜい弱な立場にある女性につけこみ、国家や施政者の都合で、女性たちを時に賞賛し、搾取し、翻弄し、結果的にはさらに弱い立場へと追いやるものでした。こうしたことが歴史の中で繰り返し起きているのです」と福田さんは指摘します。ところが、政策と性について調べているうちに、スウェーデンで90年代に成立した法律が一線を画することに気づいたそうです。
「スウェーデンは、買春は性暴力であるとして、性的サービスを買う側のみを罰する法律を世界で初めて導入したのです。この法律自体は賛否両論で、隠れて売買春が行われるようになり、かえって売る側も危険にさらされるといった批判もあります。それでも、多くの社会が優先してきた男性の欲望ではなく、女性・売る側をを守ろうとする国というのは想像できなかった。そこで大学3年のとき、思いきって1年間留学することにしました」
スウェーデンでは学生生活を送りながら、オランダやイギリスなども訪れ、各国のセックスワーカーの団体や支援グループと面会し、性産業の実態と関連する政策や法律について調べました。
スウェーデンのように買春を暴力と捉えて規制する国もあれば、性的サービスを労働と認め、セックスワーカーの安全と権利を守ろうとする立場もある。多様な立場や考え方に出会う中で、正解を見つけるのはますます難しく、悩みが深まっていきました。
「でも、そういったすべてを超えた普遍的なこと、人を人として大切にする人権の『SRHR』を知ったとき、人生が180度変わるほどの衝撃を受けたんです」
SRHRは「あたりまえの健康と権利」だと知った
SRHRとは、性と生殖に関する健康と権利。ひとことで表現するなら「My Body, My Choice:私のからだは私のもの」と福田さんはいいます。
「性感染症や、予期しない妊娠から守られることはもちろん、セクシュアリティや性生活、生殖に関して、心身ともにウェルビーイング【すこやかで良い状態】が満たされる。それがすべての人に保障された基本的人権、SRHRだと知りました」
実際に、スウェーデンではSRHRが「あたりまえの健康と権利」とみなされ、誰もが性と生殖の健康を守れるよう、必要な情報やヘルスケアにアクセスできる仕組みが整っていたのです。
「私が住んでいたのは小さな田舎町ですが、若者が性について相談できるユースクリニックや性教育機関があり、みんな気軽に利用していました。避妊に関しては、日本で一般的なコンドームだけでなく、ピルをはじめ、さまざまな選択肢があります。若者が避妊相談に行くと、体のことを考えてえらいね、自分の性格やライフプランに合わせて避妊法やケアを選んでね、と温かい言葉をかけてもらえる。避妊に失敗したときに妊娠を防ぐ砦となる緊急避妊薬も、薬局で安価に入手可能でした」
どんな人も、性暴力や性の搾取、意図しない妊娠、性感染症など、性に関わる問題の当事者になる可能性があります。ただ幸せに恋愛しているだけでも、トラブルはつきもの。そんなとき、健康を損なったり、人生の選択肢を失ったりすることがないよう、守ってくれるセーフティーネットがあるというのは心強いことです。こうしたSRHRに基づく政策や制度からは、性別や年齢、社会的立場に関わらず、一人ひとりの健康と権利を守ろうとする国の姿勢が伝わってきました。「私は大切にされている」その実感が、福田さんの価値観を根底から覆しました。
「それまでは、女に生まれた以上、自分の体も生き方も自由にはならないと思ってあきらめていました。誰かの意思や、どうしようもない出来事に左右されるのが女性の人生なんだと……。でも、SRHRを理解したとき、『待って。そんなことないのかもしれない』と、視界が一気に開けていくような感じがしたんです」
スウェーデンでは、女性の性的な価値を「値踏み」する光景を見ることはありませんでした。ましてお金で性的サービスを買うなど、人に言えない雰囲気です。それは性がタブー視されているという意味ではありません。むしろ性のよろこび、プレジャーは堂々と肯定され、ルールやおたがいの人格を尊重しながら分かち合い、享受するものでした。既婚者なら配偶者との性生活を充実させて、独身でパートナーが欲しい人はバーなど出会いの場へ。年配者もマッチングアプリを積極的に活用していたそう。
「スウェーデンのすべてが理想的というわけではありません。問題もたくさんあります。それでもSRHRを大切にしながら、一人ひとりが主体性を持ち、生涯にわたってすこやかに、歓びとともに生きることをめざす社会だと思いました」
女性が自分の健康と人生を守れない、けれど自己責任の国・日本
やがて福田さんは留学を終えて帰国し、歌舞伎町近くの実家に戻りました。ところがその後、しばらく家から出られなくなってしまったそうです。外出して駅に向かえば、路上の性産業のスカウトマンや買春男性から「◯◯円でどう?」「稼げるよ」と声が飛び交い、「(女性の体を)商品として値踏みする視線」にさらされます。以前は慣れた環境でしたが、留学を経た後となっては耐えがたいものでした。
中でも誘いの標的になりやすいのは、居場所がなかったり、収入が少なかったりと、ぜい弱な立場にある女性たち。構造的な問題・仕組みは遊廓の時代から変わりません。遊廓も、貸座敷や接待所など、時代を下るごとに名前が変わっていきました。今でも、援助交際、パパ活など、名前はどんどん変わります。そして最後には、彼女らの方が「自己責任」と切り捨てられるのです。
「こうした現実の一方で、日本の避妊法は、今なお男性の意思に左右されるコンドームが中心でした。妊娠の当事者は女性なのに、自発的に自分を守る手段が阻まれているのです。避妊用ピルは自費診療ですし、周囲から『そんなにセックスしたいの?』と偏見の目で見られることもある」
そもそも避妊法としては、コンドームよりもピルやIUD/IUS(子宮内避妊具)の方が確実です。そのため国際的には、性感染症はコンドーム、妊娠はピルやIUD/IUSなどで防ぐ「二重防御法」という考え方が推奨されています。福田さんの留学時、スウェーデンには女性が主体的に使え、かつ確実性の高い避妊法が豊富にあり、若者には無料か安価で提供されていたそうです。ピルをはじめ、3~5年間有効な子宮内避妊具、避妊インプラント、3カ月間効果が続く避妊注射、1週間で張り替える避妊パッチなど。
「これらはWHOの『必須医薬品リスト』に掲載されていて、月経困難症などに有効なものも多く、世界中で広く使われています」
しかし日本では、副作用の少ない低用量ピルが認可されるまで、海外での普及から約30年も遅れました。ほかの避妊効果の高い避妊法も認可されていないものが多く、避妊はすべて自己負担に限られ他国と比較すると明らかに高額で、必要な人に届いているとはいえません。
避妊に失敗したとき、72時間以内に服用すれば高確率で妊娠を防げる「緊急避妊薬」も、多くの国では薬局で手軽に購入できますが、日本は2023年にようやく試験販売が始まったばかり。扱う薬局は全国の薬局6万件のうち0.3%の145店舗に限られ、15歳以下は対象外、16~17歳は保護者の同伴と許可が必要と、若い女性にとって必要なタイミングで入手するのは困難な状況が続いています。
「良妻賢母」と「娼婦」
このように日本が「避妊後進国」となった理由について、福田さんは家父長制や、女性を「良妻賢母」と「娼婦」に二分化してきた歴史が関係していると考えます。
「女性たちは、純潔・貞淑を守り結婚し家庭に入る女性と、性的欲望の対象となる‘娼婦’とに、二分化されてきました。そのなかで、避妊や性感染症の検査は後者の女性たちのもの、前者には要らないとされてきたように思います。どちらも同じ’女性’であり、それらが前者から奪われることも、後者に強制されることも、本来おかしなこと。しかし、女性が性的主体性を持つことを恐れる家父長制の中で、避妊は『恥』とされ、低用量ピルの承認は『女性上位革命』という言葉で男性から恐れられました。他にも理由は様々ですが、結果的に、世界では1970年代から使用されていた低用量ピルが日本で認可されたのは1999年、国連加盟国の中で最後の承認となりました。男性の勃起不全治療薬『バイアグラ』が半年未満でスピード承認されたのとは対照的です」
1999年に低用量ピルはようやく国内でも認可されましたが、2016年の避妊に関する調査では、コンドーム使用の82%に対し、ピルは約4.2%と普及が進んでいないのがわかります。日本で2022年に国内で行われた人工妊娠中絶は12万2725件、そのうち9569件は10代が受けたことがわかっています。*厚生労働省 令和4年度衛生行政報告例の概況 母体保護関係
「その中絶に関しても多くの課題があります」と指摘する福田さん。G7などの先進国で、中絶にパートナーの同意が必要なのは日本のみ。10-20万円と高額な費用がかかるうえ、世界では時代遅れとされる「掻爬(そうは)法」という外科手術が今でも行われています。WHOから心身の負担が少ない経口中絶薬や吸引法への切り替えが勧告されていますが、国内で経口中絶薬を取り扱う病院は限られます。
現代的な避妊法や中絶へのアクセスが難しく、包括的性教育も進まない結果として、意図しない妊娠を誰にも相談できず、一人で出産して新生児を遺棄し、女性だけが逮捕される事件も後を絶ちません。「日本では、多くの女性がいまだに自分の体をコントロールできず、妊娠への不安に押しつぶされそうになっている。それは私が以前感じていたような、人生への無力感、あきらめにもつながっているのではないでしょうか」
私のからだ、私の人生。自分で決めて生きられる!
この状況を変えるためには、すべての人、とりわけ女性が体について自分で決められる自己決定権と、国際基準の避妊法やヘルスケア、正しい情報や包括的性教育が必要。それは何も特別ではない、あたりまえの健康、あたりまえの権利のはず。「なのに、なんでないの?」
湧き上がる問いに突き動かされた福田さんは、自ら行動を起こします。2018年、SRHR実現を求めて政策提言を行う「#なんでないのプロジェクト」をスタート。「日本の避妊はないものだらけ」と訴えるウェブサイトを作成し、避妊法にアクセスしやすい環境整備を求めて声を上げると、4万筆を超える賛同の署名が寄せられました。
ジョイセフとの関わりもこのころから。2019年にはジョイセフのI LADY.アクティビストとして、カナダで開催された「ウーマン・デリバー」に参加しています。これはジェンダー平等や女性の健康と権利に関する世界最大級の国際会議で、世界150カ国からSRHR推進のために活動する8000人規模のメンバーが集まりました。論議が交わされる中、意欲的に発言した福田さん。「前進する勇気とパワーをもらえました」と振り返ります。
以来、国内外でSRHRの研究や政策提言を行い、国連人口基金ルワンダ事務所で難民キャンプにおけるSRHR推進に取り組み、「#緊急避妊薬を薬局でプロジェクト」共同代表、政治分野のジェンダー平等をめざす「FIFTYS PROJECT」副代表、G7にジェンダー平等を求めるオフィシャルエンゲージメントグループ「W7」共同代表、東京大学で性教育を学ぶゼミの講師など、精力的に活動を広げてきました。
避妊法の選択肢、緊急避妊薬、近代的な中絶法、包括的性教育、政治におけるジェンダー平等。この日本でSRHRが実現していくために、課題は山のようにあります。そして福田さんは、昨今の「少子化対策」や「女性活躍」といった政策に関しても、ジェンダー平等を進めるように見えて「一度立ち止まって考えることも必要」と警鐘を鳴らします。
「女性は子を産む母体、あるいは欲望の対象として、自らの主体性よりも国や家の都合を優先されるのが常でした。それを変え、どうするか決めるパワーを妊娠する本人の手に戻したのが、1994年に提唱されたリプロダクティブ・ヘルス&ライツのはず。それなのに、社会の大きな構造は今も変わっていないように思います。少子化対策や女性活躍という言葉の裏には、人口が減るから産んでほしい、非正規で雇用の調整弁として働きながら家庭内労働も担ってほしいという、国や企業の都合が見え隠れします。そうではなく、本当に必要なのは、個人の意思が尊重され、応援してもらえる政策ではないでしょうか」
その先に福田さんが描くのは、「誰もが自分らしく生きられる社会」です。SRHRが実現するほど、一人ひとりが自分の中に指針を持ち、人生の舵取りを自らの手に取り戻して、自分らしく生きられるようになるはず。SRHRを知ったことで、無力感やあきらめから解放された経験が、福田さんの揺るぎない原動力です。
「私のからだ、私の人生、私が決める! あの力強い感覚と自信を、次の世代に引き継ぎたい。そのために、もっともっとSRHRを広めていきたいです」
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コミュニケーション デザイングループ
ジョイセフ コミュニケーションデザイン室メンバーによる投稿です。様々なトピックの情報・写真・動画を紹介していきたいと考えています