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【私とSRHR】「女性の生き方には限界がある」そのあきらめから解放されたのは、SRHRを知ったから。

「#なんでないのプロジェクト」代表 / SRHRアクティビスト

福田 和子

2024.10.17

大学在学中のスウェーデン留学をきっかけに、日本でのSRHR(性と生殖に関する健康と権利)の実現をめざす「#なんでないのプロジェクト」を立ち上げた福田和子さん。国内で普及が遅れている近代的避妊法へのアクセスや、ジェンダー平等、包括的性教育の推進を求め、政策提言や執筆・講演、研究、大学での講義など、国内外で精力的に活動してきました。
ジョイセフとは、プロジェクト「I LADY.」のアクティビストとして「ウーマン・デリバー」(ジェンダー平等や女性の健康と権利に関する世界最大級の国際会議)に参加するなど、早くから協力しています。
「SRHRをもっと広めて、性で傷ついたり制限を受けたりすることなく、人生を豊かに自分らしく生きられる社会をつくりたい」と前進を続ける福田さん。原点には、「女性が自分らしく生きるのは無理。男性中心の社会から期待される『いい女』として生きのびるしかない」というあきらめと、それを根底から覆したSRHRとの出会いがありました。

目次
1. 吉原遊郭の時代から変わらない「女性が生きることの限界」
2. 性に関する公共政策は、はたして誰を優先してきたのか
4. SRHRは「あたりまえの健康と権利」だと知った
4. 女性が自分を守れない、けれど自己責任の国
5. 「良妻賢母」と「夜の女」
6. 私のからだ、私の人生。自分で決めて生きられる!

吉原遊郭の時代から変わらない「女性が生きることの限界」

福田さんは、日本屈指の歓楽街・歌舞伎町の近くで生まれ育ちました。性産業がさかんな土地柄、街を歩く女性たちは若さや容姿で「値踏み」され、スカウトマンから声をかけられます。こうした風景が日常にあったことで、「女して生きる」とはどういうことか、子どもの頃から考え始めたといいます。
「女性というだけで、どうしようもない限界を課されているという感覚がありました。その中で生きのびるために、男性が望む『いい女』にならなければという、強迫観念すら刷り込まれたと思います」
そんな福田さんは中学生の頃、宮尾登美子の小説をお守りのように持ち歩いていました。登場するのはクレオパトラ、徳川将軍の妻になった天璋院篤姫など、苦難に遭いながら自分の芯を通す女性たち。そして遊郭に生きる女性を描いた物語がたくさんありました。

「宮尾さんは高知の花街で、芸妓紹介業を営む家に生まれました。彼女はその家の大切なお嬢さんですが、一緒に暮らす少女たちは売られてきた『商品』です。宮尾さんが学校に行っている間、みんなは芸の稽古や下働きをして、いずれ芸者か娼妓になる。そうした女性たちの宿命、それでも生き抜く強さが小説に描かれていて、惹きつけられました」

遊廓の世界は、福田さん自身が幼い頃に感じ取った「女性に課された限界」そのものに思えたのかもしれません。次第に遊女たちが遺した手記や記録を耽読するようになった福田さんは、国際基督教大学(ICU)に入学後、本格的な廓の研究にのめり込んでいきます。
「吉原の街や史跡をめぐってフィールドワークを重ね、大学の空き教室を借りて、勝手に講演会を開いていました」
やがてジェンダー勉強会などでつながりができた東京外国語大学や、自身の通う大学からも声がかかり、学生ながら正規の授業を受け持つまでになりました。

吉原遊郭といえば、花魁の装いや派手な暮らしなど、華やかなイメージで語られることもありますが、実際は女性が自由を奪われ性を搾取されて、性感染症や妊娠、危険な中絶で命を落としていく「苦界」でした。

「身売りして得るお金は、借金返済や入浴料、髪結い、布団や食事の代金に消え、手元に残るどころか借金が増えることもあったそうです。まん延していた梅毒に治療法はなく、妊娠すれば水銀や鬼灯(ほおづき)の実を用いた危険な堕胎を強いられる。吉原の近くに遊女たちが葬られた『投げ込み寺』と呼ばれるお寺がありますが、亡くなった平均年齢は、台帳記録によれば21歳でした」

性に関する公共政策は、はたして誰を優先してきたのか

やがて福田さんは、性をめぐる公共政策に目を向けるようになります。
「たとえば明治時代、日本政府は外貨を獲得するため、若い女性を東南アジア諸国に『娘子軍(じょうしぐん)』と称して送り出しました。彼女たちはからゆきさんとも呼ばれ、親孝行な出稼ぎ娘ともてはやされましたが、西洋諸国から人身売買のそしりを受けると、政府は態度を一転。手のひらを返すように女性たちを恥とみなし、帰国すら難しい状況に追い込みました。」

公娼制度や従軍慰安婦、敗戦後に日本各地で米軍相手の慰安所を設けた『性の防波堤』。「多くの場合、性に関する政策は、脆弱な立場にある女性を国家や施政者の都合で搾取し、翻弄するものでした。こうしたことが歴史の中で繰り返し起きているのです」と福田さんは指摘します。ところが、政策と性について調べているうちに、スウェーデンで90年代に成立した法律が一線を画することに気づいたそうです。

「スウェーデンでは、買春は性暴力であるとして、性的サービスを買う側のみを罰する法律が世界で初めて導入されたのです。この法律自体は賛否両論で、隠れて売買春が行われるようになり、かえって女性が危険にさらされるといった批判もあります。それでも、多くの社会が優先してきた男性の欲望ではなく、脆弱な立場にある女性の権利を守ろうとする国というのは想像できなかった。そこで大学3年のとき、1年間の留学を決めたんです」

スウェーデンでは学生生活を送りながら、オランダやイギリスなども訪れ、各国のセックスワーカーの団体や支援グループと話し合い、性産業の実態と関連する政策や法律について学びました。
「本当に多様な考え方があって、スウェーデンのように買春を暴力と捉える国もあれば、『セックスワーク論』といって性的サービスを労働と認め、働く人の安全と権利を守ろうとする立場もある。何が正解なのかわからなくなり、悩みました」
「でも、そういったすべてを超えた普遍的なこと、人を人として大切にする人権の『SRHR』を知ったとき、人生が180度変わるほどの衝撃を受けたんです」

2019年 バンクーバー(カナダ)で開催された世界のリーダーや若者リーダーたちが集い、ジェンダー平等について語り・行動する「Women Deliver」という国際会議に参加した福田和子さん(写真右)

SRHRは「あたりまえの健康と権利」だと知った

SRHRとは、性と生殖に関する健康と権利。ひとことで表現するなら「My Body, My Choice:私のからだは私のもの」と福田さんはいいます。
「性感染症や、予期しない妊娠から守られることはもちろん、セクシュアリティや性生活、生殖に関して、心身ともにウェルビーイング【すこやかで良い状態】が満たされる。それがすべての人に保障された基本的人権、SRHRだと知りました」

実際に、スウェーデンではSRHRが「あたりまえの健康と権利」とみなされ、それに基づく社会の仕組みがありました。

「私が住んでいたのは小さな田舎町ですが、若者が性について相談できるユースクリニックや性教育機関があり、みんな気軽に利用していました。避妊に関しては、日本で一般的なコンドームだけでなく、ピルをはじめ、さまざまな選択肢があります。若者が避妊相談に行くと、体のことを考えてえらいね、自分の性格やライフプランに合わせて避妊法やケアを選んでね、と温かい言葉をかけてもらえる。避妊に失敗したときに最後の砦となる緊急避妊薬も、薬局で安価に入手可能でした」

こうした政策や制度からは、人々の健康と権利を守ろうとする国の姿勢が伝わってきました。「私たちは大切にされている」と体感するうちに、それまでの価値観が崩れていったといいます。
「女に生まれた以上、課せられた制約や限界があり、逃げられないと思い込んでいました。けれどSRHRを理解したとき、『待って、そんなのないのかもしれない』と、視界が一気に開けていくような感じがしたんです」

スウェーデンでは、女性の性的な価値を「値踏み」する光景を見ることはありませんでした。ましてお金で性的サービスを買うなど、恥ずかしくて人に言えない雰囲気だったそう。
「性がタブー視されているという意味ではありません。性のよろこび、プレジャーは堂々と肯定され、ルールやおたがいの人格を尊重しながら分かち合って享受するものでした」
既婚者なら性行為の相手は配偶者。独身でパートナーが欲しいと思えば、バーなど出会いの場へ。年配者もマッチングアプリを積極的に活用していたそう。
スウェーデン社会のすべてが理想的というわけではありません。それでもSRHRを大切にしながら、「一人ひとりが主体性を持ち、生涯にわたってすこやかに、歓びとともに生きることをめざす」姿勢が感じられました。

Women Deliver 2019 のテーマは「Power. Progress. Change.」だった。

女性が自分の健康と人生を守れない、けれど自己責任の国

福田さんは留学を終え、歌舞伎町近くの実家に戻りました。ところがその後、家から出るのが辛くなり、閉じこもりがちの日々が続いたそうです。外出して駅に向かえば、路上は性産業のスカウトマンだらけ。「◯◯円でどう?」「稼げるよ」と声が飛び交い、「(女性の)体を商品として値踏みする視線」にさらされます。以前は慣れた環境でしたが、留学を経た後となっては耐えがたいものでした。

誘いの標的になりやすいのは、居場所がなかったり、性に関する知識が不足していたり、収入が少なかったりと、脆弱な立場にある女性。搾取の構図は遊郭の昔から変わりません。援助交際、パパ活など、カジュアルな言葉で陳腐化され、女性たちがどうなっても「自己責任」と切り捨てられる風潮を見ると、闇は深まっているとさえ思えました。

「こうした現実の一方で、日本の避妊法は、今なお男性の意思に左右されるコンドームが中心でした。妊娠が起こる当事者は女性なのに、自発的に自分を守る手段がないのです。避妊用ピルを手に入れるには、医療機関での検査や高額な費用が必要ですし、周囲から『そんなにセックスしたいの?』と偏見の目で見られることもある」

そもそも避妊法としては、コンドームよりもピルやIUD(子宮内避妊具)の方が確実です。そのため多くの国で、性感染症はコンドーム、妊娠はピルやIUDなどで防ぐ「二重防御法」という考え方が定着しています。
福田さんの留学時、スウェーデンには女性が主体的に使え、かつ確実性の高い避妊法が豊富にあり、若者には無料か安価で提供されていたそうです。ピルをはじめ、3~5年間有効な子宮内避妊具(日本でも承認済み)、避妊インプラント、3カ月間効果が続く避妊注射、1週間で張り替える避妊パッチなど。
「これらはWHOの『必須医薬品リスト』に掲載されていて、月経困難症などに有効なものも多く、世界中で広く使われています」

しかし日本では、副作用の少ない低用量ピルが認可されるまで、海外での普及から約30年も遅れました。ほかの避妊法も承認自体がなかったり、自己負担に限られたり、必要な人に届いているとはいえません。
避妊に失敗したとき、72時間以内に服用すれば高確率で妊娠を防げる「緊急避妊薬」も、多くの国では薬局で手軽に購入できますが、日本は2023年にようやく試験販売が始まったばかり。扱う薬局は限られ、医師の処方箋が必要で、若い女性にとって必要なタイミングで入手するのは困難です。

「良妻賢母」と「夜の女」

このように日本が「避妊後進国」となった理由について、福田さんは家父長制や、女性を「良妻賢母」と「性的対象・夜の女」に区別してきた歴史からひもときます。

「良妻賢母たる女性は結婚するまで純潔を守り、その後の避妊は不要とみなされ次々と子どもを産みました。一方、夜の女と位置づけられた女性たちは、負担が大きい中高容量ピルを服用しながら男性たちの相手をしました。そのため、副作用の少ない低用量ピルが世界で普及してもなお、日本ではセックスや妊娠の主体性が男性から女性に移るのではという警戒や、女性が奔放になるといった偏見が根強く、認可まで数十年を要したという見方があります。男性の勃起不全治療薬『バイアグラ』が半年未満でスピード承認されたのとは対照的です」

1999年に低用量ピルはようやく国内でも認可されましたが、2019年の避妊に関する調査では、コンドーム使用の75%に対し、ピルは6%と普及が進んでいないのがわかります。日本は中絶大国といわれ、2020年に国内で行われた中絶は約14万5000件。一日あたり約400件、そのうち約30件は10代が受けたことがわかっています。
「中絶に関しても多くの課題があります」と指摘する福田さん。G7などの先進国で、中絶にパートナーの同意が必要なのは日本のみ。10-20万円と高額な費用がかかるうえ、世界では時代遅れとされる「掻爬(そうは)法」という外科手術が主流です。WHOから心身の負担が少ない経口中絶薬や吸引法への切り替えが勧告されていますが、国内で取り扱う病院は限られます。

避妊や中絶へのアクセスが難しく、包括的性教育も進まない結果として、予期しない妊娠を誰にも相談できず、一人で出産して新生児を遺棄し、女性だけが逮捕される事件も後を絶ちません。
「多くの女性が自分の体をコントロールできず、妊娠への不安に押しつぶされそうになっている。それは私が以前感じていたような人生への無力感、あきらめにもつながっているのではないでしょうか」

私のからだ、私の人生。自分で決めて生きられる!

この状況を変えるためには、すべての人、とりわけ女性が体について自分で決められる自己決定権と、世界基準の避妊法やヘルスケア、正しい情報や包括的性教育が必要でした。それは何も特別ではない、あたりまえの健康、あたりまえの権利のはず。

「なのに、なんでないの?」湧き上がる問いに突き動かされた福田さんは、自ら行動を起こします。2018年、SRHR実現を求めて政策提言を行う「#なんでないのプロジェクト」をスタート。
「日本の避妊はないものだらけ」と訴えるウェブサイトを作成し、避妊法にアクセスしやすい環境整備を求めて声を上げると、4万筆を超える賛同の署名が寄せられました。

ジョイセフとの関わりもこのころから。2019年にはジョイセフのアクティビストとして、カナダで開催された「ウーマン・デリバー」に参加しています。これはジェンダー平等や女性の健康と権利に関する世界最大級の国際会議で、世界150カ国からSRHR推進のために活動する8000人規模のメンバーが集まりました。論議が交わされる中、意欲的に発言した福田さん。「前進する勇気とパワーをもらえました」と振り返ります。

以来、国内外でSRHRの研究や政策提言を行い、国連人口基金ルワンダ事務所で難民キャンプにおけるSRHR推進に取り組み、「#緊急避妊薬を薬局でプロジェクト」共同代表、政治分野のジェンダー平等をめざす「FIFTYS PROJECT」副代表、G7にジェンダー平等を求めるオフィシャルエンゲージメントグループ「W7」共同代表、東京大学で性教育を学ぶゼミの講師など、精力的に活動を広げてきました。

避妊法の選択肢、緊急避妊薬、現代的な中絶法、ジェンダー平等、包括的性教育。この日本でSRHRが実現していくために、課題は山積しています。そして福田さんは、昨今の「少子化対策」や「女性活躍」といった政策に関しても、ジェンダー平等を進めるように見えて「実は違う」と警鐘を鳴らします。

「女性は子を産む母体、あるいは欲望の対象として、自らの主体性よりも国や家の都合を優先されるのが常でした。その構図は今も変わらず、少子化対策や女性活躍という言葉の裏には、人口が減るから産んでほしい、非正規で働きながら家庭内労働も担ってほしいという、国や企業の都合が見え隠れします。そうではなく、本当に必要なのは、個人の意思が尊重され、応援してもらえる政策ではないでしょうか」

その先に福田さんが描くのは、「誰もが自分らしく生きられる社会」です。SRHRが実現するほど、一人ひとりが自分の中に指針を持ち、人生の舵取りを自らの手に取り戻して、自分らしく生きられるようになるはず。
SRHRを知ったことで、無力感やあきらめから解放された経験が、福田さんの揺るぎない原動力です。

私のからだ、私の人生、私が決める! あの力強い感覚と自信を、次の世代に引き継ぎたい。そのために、もっともっとSRHRを広めていきたいです

 

Author

コミュニケーション デザイングループ
ジョイセフ コミュニケーションデザイン室メンバーによる投稿です。様々なトピックの情報・写真・動画を紹介していきたいと考えています