2024年2月1日~令和6年能登半島地震からひと月に・・・
2024.2.2
- ジョイセフのオフィスから
1985年8月12日、1995年1月17日、2001年9月11日、2005年4月25日、2008年5月2日、2011年3月11日、2014年夏、2016年秋、2021年2月1日、8月20日、2022年2月24日・・・。
どれも、ニュースの映像と共に私の記憶に刻まれた、国内外で大惨事・大災害が発生した日付です。これはほんの一握りで、実際は、もっともっと多くの災害や紛争が、人びとの生活や命を脅かし、奪っています。これらの日に何があったのかは記しませんが、ふとした時にニュース映像が脳裏によみがえります。
2023年10月7日。いうまでもなく、今、ガザで起きている形容する言葉もない惨劇の発端となった日。
同じ日、アフガニスタンでは、大きな地震が発生し、多くの犠牲者が出ました。
そして、2024年1月1日、能登半島地震。ひと月が経過し、被災地で祈る人たちの姿がニュースで流れました。今も、多くの方が、不便で心身共に負担の多い避難生活を強いられています。かろうじてご自宅で過ごすことができる方々も含めて、不安はどれほどのものでしょうか。
大切な人を、家族を、家を、暮らし馴染んだ土地を、生まれ育った場所を、突如として失う衝撃、悲しみの大きさに、優先順位はないだろうと思います。次々と起きる悲劇の中で、誰を責めて何を恨んで良いのかわからず慟哭する人々の、言葉にならない苦しみは、最大限想像力を働かせても、渦中にいなければ、経験したことがなければ、本当にはわからない。当時者ではなく、駆けつけて瓦礫ひとつ拾い片付けることもできず、そんな自分から慰めや励ましの言葉を発しても軽々しく響くと思うと、何もできない自分を責めるばかりで、気持ちが沈みます。
ですが、我に返れば、身近な課題もろくに解決できずに何をかいわんや・・・。私には、いつもの朝が訪れて、気づけば沈んだ気分から這い上がって、コンビニでコーヒーを買ったりしています。その日常が、祈るほどに「ありがたいこと」だと感じた1日でした。
*ジョイセフは、日本助産師会、石川県助産師会、被災地の助産師などを通して、関連企業のご支援・ご協力をいただき、沐浴ができない赤ちゃんのための清潔な肌着の提供などをはじめ、女性や母子が必要な物資の支援を行っています。
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- 勝部 まゆみ
- UNDPのJPOとして赴任したガンビア共和国で日本の国際協力NGOジョイセフの存在を知り、任期終了後に入職。日本赤十字でエチオピア北部のウォロ州に赴任するために一旦ジョイセフを退職、3年後に帰国・復職。ジョイセフでは、ベトナム、ニカラグア、 ガーナ、タンザニアなどでリプロダクティブ・ヘルスプロジェクトに携わってきた。2015年から事務局長、2017年6月から業務執行理事を兼任し、2023年6月に代表理事・理事長。