「ジェンダー差別」って何? 男にも関係あるの?
――男の子なのに、それくらいのことで泣かないの!
――もうちょっと頑張れるよね? うん、えらい偉い! さすが男の子!
上記のような言葉を聞いたり、言ったりしたことはありませんか? 私自身は、言われたことも、言ってしまったこともあります。
他にも以下のような言葉が思い当たるかもしれません。
「男はこれくらい気合で乗り切れ!」
「男なんだから泣かないの!」
「女子に負けて悔しくないのか」
「男の子なのに虫を触れないんだ」
「男の子なんだから守ってあげてね」
男だから……の思い込み
これらの言葉は、「男の子は泣くのをがまんすべき」「男の子は頑張れるのが当たり前」という思い込みや期待、規範(なんとなくみんなが「こうすべき」と思っている行動や判断の基準)からくるものです。
「頑張れ、頑張れ」と励まされ続けるのも、結構しんどいことです。弱音を吐きたいとき、助けてもらいたいときは、誰にでもあるでしょう。
もちろん、「そう簡単には泣かないぞ」「自分は頑張るんだ」という気持ちも、無理をしているのでなければ否定する必要はありません。でもここで注目すべきなのは、そういった思い込みや期待があることで、生きづらさを感じている人たちを見過ごしてしまうことです。そういう人たちの存在が、なかなか気づかれないことが問題なのです。
「男だから~べき/べからず」「男らしいとは~」というような、性別にもとづいた思い込みや期待を押し付けることを「ジェンダー差別」と言います。ここでいう「差別」とは、区別(分けること)と蔑視(べっし:見下し、軽んじること)と排除(仲間はずれにすること)が組み合わさったものを指します。つまり「区別」自体が問題なのではなく、その「区別」によって誰かをおとしめたり、区別を理由にして仲間はずれにすることを指しています(おとしめるつもりがなくとも、結果としておとしめてしまうことも含まれます)。
「男らしさ」が隠してしまうもの
ジェンダー差別について考えるとき、ついつい男性が「加害者」であり、女性が「被害者」として語られがちです。
もちろん、そのような傾向があることは否定できません。例えば、性暴力のデータを見てみましょう。いずれも圧倒的に女性が多く被害にあっているのが分かります。このデータだけで捉えてしまうと、やはり「女性が被害者になる」のだ、と思ってしまうかもしれません。
ここで考えたいのが、「本当に男性は、被害にあっていないのか?」ということです。
「男のくせに性被害にあうなんて」「男なんだから力ずくでも拒否できたでしょ」といったような思い込み、つまりジェンダー差別によって、男性が被害を言い出しにくくなってはいないでしょうか。さらに被害にあったことを伝えても、軽視されたり、無視されたり、はたまた、「おもしろい下ネタ」とされることがよくあります(これらを「セカンドレイプ」と言います)。
ある男性アイドル事務所による性暴力事件は、男性の性暴力被害者が、加害者からだけでなく社会全体からも軽んじられ、長年ないことにされてきたことの大きな事例でもあります。なぜ男性だけが被害を軽んじられてしまうのでしょうか?
(詳しくは、熱田敬子「ジャニーズ性暴力問題は、『子どもの性被害』問題か?」日本子どもを守る会編『子ども白書2024』を参照)
粗雑に扱われる男性
女性よりも男性の方が、性に関して粗雑に扱われがちであることを、日常の事例で考えてみましょう。例えば、学校で体育などの着替えのとき、女子には更衣室が用意され、プライバシーが守られやすい状況です。一方で男子は、外から丸見えの教室や、場合によっては「場所がない」という理由から、廊下で着替えるように指示されてしまうこともあります。
男性は、それくらいのことは気にしないというように、プライバシーを重視されないことに慣らされ、自分自身の性に関するプライバシーに鈍感に育てられてしまうということも考えられます。
ピア・プレッシャー
性に関するプライバシーに鈍感であるからこそ、若者の間では特にピア・プレッシャー(仲間からの圧力)が生まれやすくなります。ピア・プレッシャーがあることで、気にしていることが周りにばれたらバカにされるかもしれないと、自分が感じた違和感を口に出せずに、意に反した行動を取ってしまうことがあります。例えば以下のようなことが挙げられます。
- 性的な話題に参加させられたり、性的な体験の告白を強要されること
- その場のノリや罰ゲームなどであおられ、裸になることやキスなどの性的な行為をしたり、逆にそれをあおる側になったりすること
- 集団内で誰かの性的指向やプライベートな性的な趣味、悪い噂を言いふらすこと
- 望んでいないのに、性的サービスを行う店に連れていかれること
(参考:埼玉大学ダイバーシティ推進室監修『ねぇこんな時、どうする?』)
性的な経験に関しては、特にこのピア・プレッシャーを強く感じてしまう人が多くいます。例えば「まだ童貞なの?」などと言われて一人前ではないような扱いを受けると、意に反して性的な行為を急いでしまうことも。性的な経験をしたことがあるかないか、そもそもしたいと思うかどうかの間に優劣はありません。
ジェンダー差別について考えるときに重要なことは、「私たちはどのような性別であっても、差別しない、差別されないで生きていきたい」ということです。
そのように生きていくためには、正確な知識が必要です。冒頭で、私もジェンダー差別発言を「言ってしまった」と書きました。それは、私自身正確な知識を学ぶまでは、「何が人権侵害につながるのか」ということを知らなかったためです。私が正しい知識を学び始めたのは、大学生になってからのことでした。それは、私が怠けていたからというよりも、小学校でも中学校でも、高校でも、そして家庭でも教わる機会がなかったからです。
今この時から、他者の人権を守りながら、そして自分自身の人権を尊重するために、本冊子を通して学びを深め、SRHRについて考えてみましょう。
このページは、冊子『Men’s SRHR MINI BOOK for All 〜みんなで考える、男性の健康とジェンダー〜』の内容を、ウェブに対応するための編集を加えた形で掲載しています。(冊子の情報はこちらから)